potterjake’s blog

50代のpotterjakeが発信する気ままな毎日

欲望と理性と上辺と本音  ~本当の自分に出会う~

「あゝ、俺って我慢できないんだよなぁ」

何が?

人の欲望って色々ありますよね

 食欲、性欲、物欲、お金 etc…

 

私自身も、お金と性欲が半端なく、容姿もさほど良くもなく、お笑いのセンス無く、女性にもてる要素はおよそありません。

ただ、無害(上辺はとりつくろえます)、優しいというよりは無関心

そんな私の欲望は、人には見せられないほど”醜い”と思っています。

 

しかし、ほかの人の欲望なんか何を思っているのか分かりません。

自分よりもひどいのかもしれないと思ったりもします。

 

とはいえ、私が思うほど他の人は醜い欲望はなく、同じことを欲していたとしても、”潔い”ものなのかもしれないとも思います。

 

人の欲望について、自分をさらけ出して話せる友人も知り合いもいないので、自分自身で本を読んだり、想像したりしながら考えるしかないなぁと思い、この記事を書き始めました。

 

この記事を読んでくださる方と、人の欲望について少し高いお酒を飲みながら議論出来たら面白いと思いますので、熱くなりすぎない程度に話してみたいものです。

 

欲望を抑えるものは”理性”?

 

私は、自身の”性欲”を”理性”で抑えられず、浮気をしてしまい

私にとって一番大切な妻を裏切ってしまいました。

と言っても、私は自分の行為が妻を裏切っているとは思っていませんでした。

(妻に知られなければ、迷惑をかけなければいいだろう)

普段から、妻に特別愛されているわけでもなく(そう思わせることもなく)

かといって、妻のことをないがしろにしているつもりもなかったからです。

 

しかし、浮気を知った妻は、子供を連れて家を出てしまいました。

浮気を知った妻から、彼女が感じた”裏切り”について思いを聞かされた時

はじめて、自分は愛する妻を裏切ったのだと感じました。

つまり、浮気をしているときは妻のことを考えず、自分の快楽のために生きていたのだと思います。

 

それ以外にも、私は妻を私の”ギャンブル”による”借金”で、3度も泣かせていました。

その都度、妻は泣きながら私の行動の非常識さを窘め、私も心から反省し「2度とギャンブルはしない」と誓ったのですが、3度繰り返してしまいました。

 

その上での、浮気ですから、傍目に見れば私は「本当に懲りない、甲斐性なし」と10人中10人が思うだろう男です。

 

そして、妻にとって悲劇の瞬間が再び訪れたのです。

 

浮気が発覚し、一度は家を出た妻でしたが、次男の大学進学で県外へ出るタイミングで、もう一度わが家へ戻ってくれました。

 

ところが、私と言えば、妻が家を出て実家にいる間に、また

”ギャンブル”をはじめてしまい、そして、その上”借金”をしてしまっていました。

 

妻が帰ってきてちょうど1年ほどたったころ、借金の返済が苦しくなり、自転車操業的になっていた私は、返済のためにもどこからもお金を借りることもできなくなっており、日銭を稼いで返済しようとアルバイトを探すも、年齢と見た目が悪いのか、アルバイトは決まらず、とうとう、借金の催促はがきが妻の目に触れる日が来ました。

 

妻は、前々から、私の動向がおかしいと思っていたようで、その催促状を見たときに私と一緒にいると不幸になると決心をしたといっておりました。

 

もともと、浮気が発覚した時に借金の前科も3度あるので、家に戻ってきたときに「次は無いからね」と言っていたのだといいますが、私自身は、すでに”次”を犯していたので、もう隠しておくことしか念頭にありませんでした。

 

妻がだしたのは、4度目の借金のことを知ったとき、「もう決定」と思ったそうです。

「もう、何を誓っても、何をしても信用は取り戻せない、信頼できない」「何度裏切られても、許してくれると思っているの?」「この先、同じように反省して生活をはじめても、また、同じように裏切られる」と、妻が何日も考えて、なん度考えても「こんなに信用できない人とは一緒にいられない」との結論です。

 

ここで、私はというと、もちろんもう反省です。

このように書けば、それも上辺か?

と思われるかもしれませんが、私も何日も、いろんな角度で自分の考えなしの行動について考え、全て自分が悪い(結果的に、妻を裏切っていたことに気づき)し、何も言い訳できる状況ではないと考えつくのですが、その結果を作り出した自分の考えなしの行動は何が原因なのか、以前に反省した自分の思いは上辺だけだったのか

それを考え始めるようになりました。

 

何度も妻を泣けせて、反省し、「もう泣かせない」「必ず幸せにする」と決心するのに、その思いを忘れ(もしかしたら、忘れていないのかもしれないが)、「知られなければいいか」と彼女との約束を破っている自分を、”隠す””聞かれないから言わない””聞かれても、隠す”という卑しい心根になってしまったのだろうと考えるようになりました。

この間、わずか1ケ月のことです、もう長いこと生きてきているのに、いまさらながら”人を裏切ってはいけない””裏切ったのはなぜか”に思いを巡らし、自便自身の分析をはじめました。

 

自分には理性がないのか?

 

自分の生きてきた時間を振り返ると、どこかに人に隠すことが当たり前になっていたことが多々あることに気づき、いつから、人に隠し事をするようになったのか考えてみた。

幼少期、近所のおじいさんとキャッチボールをしてもらう野球好きの子供だった記憶がある、近所のおばちゃんは怖かったなぁ

小学校時代、自分の弟を上級生の児童と一緒になっていじめてしまったことが、今でも本当に恥ずかしくなるぐらい申し訳なく、その時から音音に後ろめたい気持ちを持っていた(今でもある)

また、家が貧しく、近所の上級生からバカにされても”ヘラヘラ“していた自分を今でも卑屈に思い出す。(今でもその先輩には何かおびえる気持ちを持っている)

そして、お小遣い欲しさに、”ヤクルト”の配達のおじさんから、”ヤクルト配達”のお手伝いでお金をもらっていた(小学生のアルバイト)

中学生時代、部活頑張る少し内気な普通の中学生

バレーボールと器械体操をはじめ少し自分に自信が持てた時代かもしれないです。

勉強も頑張り、家が貧しいからしっかりした就職ができることを目指して、工業高校を目指して頑張っていました、部活も一生懸命で、部活のマネージャーに恋してたりもしました。しかし、やはり、家が貧しいコンプレックスは根強くあったと思います。クラスの大好きな班の男女数名に陰口をされたと思い、中学2年の2学期ぐらいからそのメンバーをことごとく無視し続け後々本当に後悔の日々を過ごしました。

高校時代、中学までの自分を払拭しようと、今までとは全然違ういわゆる”ツッパリ””不良の端くれ”に身を置くようになりました。(この時好きだったアイドルは”堀ちえみちゃん”です)

半来の自分の性格の中にない”不良”的な態度や振る舞いは、今の自分のいい加減さにつながるものがあったかもしれません(何せ不良ではない不良みたいな態度、生活、本当に”中途半端”な自分でした)

このころの後半に、妻と出会いました。